映画「クラッシュ」~差別について~
さて、昨日、「クラッシュ」という映画を見ました。完全英語で見た挙句、シーンがコロコロ変わるから本当に大変でした。いまだにどれくらい理解できているかわかりません。黒人がやたら出てきて、彼らの英語が難しいため、本当に理解が大変です。
さて、通常は映画の感想を書く場合には、よい感想を書きます。しかし、今日は思いっきり叩きましょうw 僕が思うに、この映画、突っ込みどころ満載です。とはいいつつ、映画の鑑賞中は号泣したりしているのですがね(女の子が銃で撃たれそうになるシーン)w
まず、この映画のどこがだめか。それは、安易に「差別は駄目だ」みたいなことをいうからです。こんなメッセージを受けて感動するのは、20歳未満でしょう(と僕は思うのですが、どうでしょうか?)。
「差別」はいけないわけではないのです。そこにあるのです。僕も差別をするし、あなたも差別をする。差別をしない人って本当にいるんでしょうか?
イエス・キリストは、「隣人(あるいは敵を)を愛せ」といいました。その意味は、友人なら誰でも愛せるわけです。親なら誰でも愛せる(愛せない人もいるけれど)。知り合いに親切にできるなんて、「あたりまえ」なのです。でも、赤の他人を愛せますか?あるいは、「敵」は? 愛せないでしょう。愛せないからこそ、「キリスト教の教え」となりうるのです。そして、それは、キリスト教徒にとっても、きわめて難しい。つまり、隣人愛と家族愛は、まったく逆の概念なのです。
小さいころに、「人間は平等だ」と教えられました。ただ、すぐに気づきますが、ぜんぜん平等ではないわけですよね。よくよく社会の教科書を読んでみると、単に、「法の下の平等」といっているだけ。つまり、政府に対して、何らかの権利を主張するという段においてのみ、「人は平等」なわけです。僕らの能力、容姿、機会、運などが、「平等」などといっているわけではない。みんな知っているのに、それを誰も言いたがらない。そりゃそうですよね。いいたくないに決まっています。
この映画が扱っている「差別」は、「人種差別」です。あなたが、日本人として、この映画に共感できたとすれば、それは、あなたが単に日本人だからです(と僕はいいたい)。日本という国は、本当にすばらしいから、外国人を基本的に受け入れない。世界中の多くの人は、貧困にあえいでいて、日本という国で働きたい。そして、賃金を自国に郵送して、家族を助けたい。でも、そんなことは日本政府は認めないわけですね。今国会では、さらに強烈な法律が成立しました。外国人にとっては、本当に入りにくい国になりつつあるようです。(断っておきますが、僕は政府のこの政策を「支持」しています)。
日本という国は、こういった前提条件から、「人種差別」は起こりにくい。きわめて起こりにくいわけです。だって、そりゃ、黒人なんて、めったに出会わないでしょう? ここ、トロントでは、大量にいますが、日本では、東京ですら、圧倒的に少ないのです。
じゃあ、日本人がどうしているか、というと、単に、違うところで差別をしている。たとえば、「顔」。(本当はこんなことを書きたくはないのだけれど)、日本人(特にヤロウ)は、本当に顔で差別をします。きれいな子には、優しく、○○な子には、冷たく。きれいな子は、就職がしやすかったりします。こんなことみんな知っている。僕からすれば、「黒人差別」と何が違うんですかね?一緒でしょう。 単に「肌の色」と「顔のつくり」のちがいなのだけ。
「ホモ」はどうでしょうか。日本にはホモ、あるいは、ゲイを馬鹿にし、差別する国です。この差別たるや、異常といっていいでしょう。僕の友達の一部は、平気で公共の場でホモを差別するやつがいる。あるいは、日本という国は、「ホモの権利を守ろう」的なことをいうと、あたかも、そいつがホモであるかのような扱いをうける(ような雰囲気がある)。はっきりいって、北米では、ホモの差別も人種差別も一緒です。1960年代に公民権法がとおったとおなじように、徐々に同性の結婚が合法化されているのです。ハーバードがあるようなインテリが住むマサチューセッツのような場所では、当然のように合法です。当然、カナダも合法。でも、日本人は差別をするのです。
ですから、僕は容易に想像できます。つまり、日本が大量に外国人、たとえば、アフリカから移民を受け入れたとして、たとえば、ロサンゼルス(「クラッシュ」の舞台はロス)みたいに、人種のるつぼになる。すれば、すぐに、日本人は彼らを差別しだします。するに決まっています。
「そんなことない。日本って国は、すばらしいから、黒人であろうと、職の機会は平等に決まっているし、僕(私)は絶対に差別はしない」と心の底から言える人って、どれくらいいるんですかね?いれば、会ってみたいです。
ここ、トロントでは、当然のように差別が行われています。僕のホストペアレントは、平然と差別をするので驚きました。韓国人の友達も平気で差別します。もちろん、黒人をですよ。はじめは、差別をする韓国人に対して、「黄色いサルが何を言っている」と思いましたが、そうも言い切れないところがある。
具体例を少しだしましょう。僕のホストペアレントは、チリ人とアルゼンチン人。つまり、ラテン系ですが、肌の色はホワイトです。髪の色はブロンドではないですが、黒とブロンドの中間くらい。そして、黒人、中国人、韓国人を差別しています。
僕はドイツ人と部屋を共有していましたが(彼はホワイト)、彼がドイツに帰ったため、部屋が空きました。その部屋を埋めるため、ホストペアレントは不動産屋に空き部屋を伝えところ、カメルーン人(当然黒人であることが予測される)から電話がありました。もちろん、住む場所を探しているわけですね。
そこでホストペアレントはどうしたかというと、即座に断ったわけです。なぜなら、彼は黒人だからです。僕のホストペアレントは、黒人と風呂、トイレを共有できないそうです。
僕が言いたいことは、彼らが差別していることを批判したい、わけではありません。彼らは本当によい人です。でも、黒人は差別をする(彼らは決してゲイは差別しない)。こういう人は北米に腐るほどいるわけですよ。
「なんでオリンピックの水泳選手に黒人がいないのだろう」という当然の疑問を持った人はどれくらいいますか?彼らの運動能力を考えれば、当然いてもおかしくない。でも、僕はいままでオリンピックで黒人が泳いでいるのを見たことがありません。なぜかというと、黒人と同じ水で泳ぎたくない白人が世の中には大量にいるから(だと僕は感じています)。
日本人が学歴で差別をするのと同様、北米では肌の色で差別をします(ここからは僕の独断と偏見)。トップにフランス人、最下位に黒人。フランス人の後に、ブロンドが来て、白人(ドイツ系)。その後に、ポーランド系、イタリア系。次には、アジア系、アラブ系です(すごいのは、すべての人種に差別用語がある!ここではあえてかきませんが、日本人は「ニップ」と「ジャップ」です)。ネオナチというのは、完全に人種の劣等性を信じていて、僕が挙げたランクにきわめて近い。トップに、ゲルマン系で、最下位にユダヤがくるだけです。
僕は人種差別は大嫌いですが、北米では厳としてある。もっといえば、僕が人種差別を嫌いだといえるのは、僕が日本というラッキーな国に生まれて、それなりの教育を受けてきたからだともいえる(僕が北米にブロンドとして生まれてきたら?)。
それに対して、ロサンゼルスという場所は、本当に人種のるつぼです。もちろんよいところもありますが、悪いところもある。その一部として、人種差別がある。「人種のるつぼ」の落し子として、人種差別がある。近年のヨーロッパの動向をみていると、そんな気がします。
最後に、「ビーリーバー」という映画を引用して終えようと思います。この映画は日本ではみれないので、ちょっとだけ要約をしましょう。主人公は、「ユダヤ人」で、かつ、「ネオナチ」です。彼は、非常にインテリで、ヘブライ語、ラテン語を自由に操り、非常に高い水準の教育を受けたインテリです。さらに、弁もたつ。 ただ、彼はユダヤ人なのです。この映画はその矛盾、葛藤を描いた映画ともいえましょう。
彼は、「ユダヤ人を抹殺すべきだ」といいます。なぜか。彼に言わせれば、「ユダヤ人は、すべてを普遍化しようとする」からです。僕らは、どこかに起源があり、その起源の延長上にいる。こんな不安定で、よいこともわからない世の中で、僕らにとって確かなものは、その延長上にいるということ、つまり、「種」に正直であるということ。
それに対して、ユダヤ人は、それに従わない。彼らは土地も持たない(「イスラエルがある」というなかれ。真のユダヤ人は、土地を持たない)。メディア、投資銀行、ハリウッドを牛耳り、すべてを普遍化しようとする(その象徴が「金(かね)」です)。それに対して抗わなければならないと。
さて、彼を前にして、「クラッシュ」という映画。どれだけの説得力をもつでしょうか。難しいところは、「差別」という顔の裏側に、「人間の本性」がある。どうおもいますか?


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Americans are fat because they lack discipline