Canadian Wood

Wednesday, November 01, 2006

映画「クラッシュ」~差別について 2~

さて、昨日は「クラッシュ」に関して、かなり強烈に書きました。ただ、わかってほしいのは、この映画をほめるのはすごく簡単なわけですよ。事実、多くの友達がこの映画を褒めている。「みんなが褒めているんなら、じゃあ批判してみようか」という心境で批判をしているということを、まずはわかってほしいのですw

映画、小説、あるいは、音楽が描ききれるものは、たかがしれています。映画に関していえば、たった2時間しかない。ですから、複雑である現実を描く上で、「ある側面」を切り取ってくるしかない。「クラッシュ」という映画は、ロサンゼルスのような多文化社会からくる「人種差別」の複雑さ「のみ」を描いたといってもいいでしょう。あるいは、9.11以降に起こった「社会全体の不安定」を描いたともいえる。映画の一シーンにアラブ系への差別があるところからも、そういった解釈は可能でしょう。

よく描けていると思います。楽しめるようにできています。泣けるようにもできている(僕は2時間で最低二回は泣いたw)。ただ、やっぱり許せない。ぜんぜんだめです。それは、多文化社会のよいところを完全に切り取ってしまっている。これは致命的な欠陥で、この点を割り引いた上で人種差別を語るなんて笑止千万でしょう。

多文化社会は大変です。僕の住んでいる街トロントは本当に多文化社会です。あなたがもし英語の勉強を海外でしたいなら、圧倒的にトロントを勧めます。

ちょっとだけ脱線しましょう。カナダ人は、本当にきれいな英語を話す。北米では、どういう英語を話すかがきわめて重要です。そして、カナダ人のアクセントは圧倒的にきれいなのです(ブリティッシュアクセントを選ぶ選択肢もあるけれど、僕は好きじゃない)。

英語のメリットは、多くの人が「第二外国語」として英語を選択し、その結果、多くの人が英語が話せるということです。多くの人が話す。つまり、多くの人がそれぞれのアクセントを持っている。

日本人は日本人のアクセントに慣れているからよいですが、外人からすれば、典型的な日本人のアクセントは最悪です。今の僕には耐えられない。日本人が普通だと思っている日本人英語は最低最悪です。事実、ここに来る前は僕はそういう英語を話していたわけで、結果、誰も僕が言っていることがわからない。コーヒーも注文できないのです。発音がひどすぎるからです。

わかりやすくするために、韓国人のアクセントを例に出しましょう。彼らのアクセントも本当に最悪です。たとえば、彼らは、FのサウンドをPで発音する。最悪でしょ?(でも、日本人もFのサウンドをHにおきかけるから、同じように最低)。彼らはIFをIPとくるんですよ(「イプ」とくる)。OFFERをOPPERとくる。ずーっと、これでくる。脳みそがおかしくなりますw

議論がそれかけているので、戻しますが、要は、カナダという場所は発音がいいため、日本人のように発音が苦手な人種はかんだという場所はすごくいい。きれいな発音の人と英語を話すことが、発音の改善では最適です。

第二の点として、それはトロントという場所は多文化なのです。カナダでは市民権を取ることが本当に簡単です。政府は移民を積極的に受け入れる(日本のように飢えた人を追い出したりはしない)。よって人種のるつぼです。ロスと変わらないでしょう。もちろんチャイナタウンもあるし、コリアタウンもある。黒人もいっぱいいます。

犯罪も多いです(アメリカほどではないけれど)。路上ではホームレスが大量にいます。多くの人が多くのルールを持って生活している。

(ちょっと偏見だけれども)中国人は基本的にルールに従わないので、何でもします。すごいのは、違法コピー。「フレンズ」のフルシーズンが20ドルで売っているw 明らかに違法ですよねw CDに関しても明らかにWINNYなどでダウンロードしたものをCDに書き込んで路上で売っている。幸田来未の新しいアルバムが2ドルで買えますw

宗教も本当に多彩です。日本と違って、多くの人が特定の宗教を信仰している。たとえば、仏教徒はお酒は飲めない(「クラッシュ」にもでてきましたよね?)。カトリックは、結婚に関してかなり厳格です。堕胎は「殺人」だと思っている。当然、イスラム教もいるわけです。彼らは儀式を持っていて、牛をたべることができません(豚だったかな?頭が悪いからすぐに忘れる。。)

それぞれの文化があるように、それぞれの国籍がある。そして、それぞれの国が固有の問題を抱えている。

前も話したように、日本と韓国、中国、台湾はすごく複雑な問題を抱えています。これらの関係は、当然僕が韓国人、中国人と個人として付き合ううえでも関わってきます。日本政府の行動も日本人に直接降りかかってきます。僕らが選んだ自民党であり、安部首相なのです。「僕は知らない」ではすまないのです(これをするに日本人がトロントには大量にいて本当に困ります。当然、彼らは馬鹿にされるし、されるべき)。

これらは僕ら、日本人だけはない。たとえば、ベネズエラ。ベネズエラの首相チャべスは、キューバからすれば、単なる独裁者です。メキシコ人(特に北部)は、とんでもないくらい親米で保守だから、当然メキシコとベネズエラの関係は悪い。

アメリカは、「大国は何でもできるん」的なことを世界中でしているから、当然、アメリカを大嫌いな国は世界中にゴマンといる。たとえば、30年前のチリの革命時に、アメリカがチリに介入して、ピノチェトを暗殺しました。チリ人の多くはいまだにそれに対して怒りを感じている。

もちろん、ユダヤ人はドイツ人に対して特別な感情を抱えている。アメリカは日本に二発爆弾を落として、東京では20万人殺しましたが、多くは親米でしょう。日本の若者で「アメリカとだけは共に天は戴けない」と感じている日本人って、どれくらいいるのでしょうか。こんな状況は日本だけです。

こんなわけで、トロント、あるいは、ロスという場所は、爆弾を抱えている街といっていいでしょう。文化も違えば、言葉も違う。宗教も違うし、各々が各々の歴史を背負って生活している。肌の色も違うのです。当然それらが、いろいろな軋轢を生み、時に「クラッシュ」する。いかに危険な状況か、想像できるでしょう?

では、それがだめか? そんなことはない。日本より断然よい。僕は、心のそこから感じます。

日本人は、基本的に無宗教です(つまり、従うべき戒律はない。仏教は本来は戒律であふれているけれど、日本の仏教はオリジナルとはまったく別物です)。みんな黄色い肌をしていて、日本語を話す。よくわからないけれど、「空気」がある。「これこそ日本だ!」といわしめるような匂い、空気がある。

この純化は、「クラッシュ」を生みにくい。結果、圧倒的に治安がよい。ホームレスも少ないのです。

じゃあ、日本はよいのか? 僕はそうは思わないのです。いや、まったく逆。ロス、トロントでは、「クラッシュ」のようなことが起きているけれど、「すくなくとも日本よりはよい」。

なぜか。これを言葉にするのは現在は不可能だといっていいでしょう(村上龍は「日本には希望がない」といったけれども、本当に美味い表現です。彼はキューバが大好きです)

ただ、想像してみてください。

たとえば、大学の国際政治の講座。教授の前には、ほぼすべての国籍がいます。韓国人、日本人、イラク人、インド人、中国人、アメリカ人、ブラジル人、アルゼンチン人などなど。第二次世界大戦では、(ドイツ+日本+イタリア)VS(アメリカ+イギリス+フランス+ソ連)で戦争をしました(ヒットラーのせいで、ソ連が連合国側に回った。あげくのはて、ソ連は日本を侵攻)。クラスには、すべての国籍の学生がいるのです。そして、彼らは日本と違って授業中にしゃべる。大教室でも学生がどんどん議論を教授に吹っかけるのです。 おもしろいでしょう?

たとえば、イラク戦争。日本では地球の裏側でおこった人事かもしれません(どれくらいの人が真剣にイラクのことを日本で考えているのだろう?)。ただ、ここでは違います。友達の国が友達の国を侵攻しているのです。友達の国が友達の国を侵攻しているときに、何もしない人は、「友達」ではないでしょ?ここでは、「政治的に無関心」では許されないのです。あなたは、日本人で、日本を代表しているのです。あなたがアホな発言をすれば、「日本人はアホだ」とおもわれかねないような環境がある。

すべての国、社会は完璧ではありえません。よいところもあれば、悪いところもある。ある側面を良くしたければ、ある側面を悪くしなければならないかもしれません。逆もしかりです。

ロスには確かに人種差別があるでしょう。でも、人種差別は、ロスという場所では必然なのでは?僕にはそうおもわせるような「何か」を感じています。

もちろん、克服したほうがよいにきまっています。でも、それにまさるような「何か」があるはず。あるに違いない。そういった側面をまったく切り離して、「クラッシュ」という映画はすべてを描いている。僕にとってはそれが許せないのです。皆さんはどうおもうでしょうか?

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