Canadian Wood

Sunday, November 12, 2006

忍者、電車でナンパ?

さて、今日はひさびさアホな話をしましょう。基本的に僕のブログは内容が固い(といわれる)。その挙句、最近は、ひどい英語でながながと文章を書き続けるため、「読んでいる人は悲惨だなぁ」とおもったりします。しかも、僕の日本語の文章力が劇的に低下しているので、日本語の文章も悲惨。

そんなわけで(?)、今日は、本当に「日記」を書こうと思います。ちなみに書く前に断って起きますが、ここから書く内容は、僕としては、すごく正直な内容です。嘘、誇張、偽り、何一つない。ただ、僕が受けた印象でしかない。楽しんでいただければ、と思います。


二日前、夜の9時ごろに地下鉄にのるため、トロントの地下街へと足を運びました。トロントというのは、基本的にバスと地下鉄しか交通手段がないのです。そのくせ、カナダというのは社会主義国家だから、すべて国営。つまり、サービスは悪いうえ、汚い。東京とくらべてよいところといったら、「安い」というくらいです。(ただ税金は死ぬほど高い)

そんなダメダメな地下鉄ですが、3ヶ月も生活すると、すっかりと慣れきってしまいます。相変わらず、予定時刻に来ない地下鉄を待つため、新聞を読みながら時間をつぶしていると、やや混雑した電車がようやく到着。そのときの僕は、つかれきっていたため、「やれやれ」と思いながら、電車の中で足を運び、空席を探しました。

そんなときです。電車の中をぐるっと目を通すと、ある女性が僕の目に留まりました。そして、その瞬間に目が合ったのです。

「日本人だ」

僕は確信しました。そして、(ここが重要なのですが)その女性は(僕にとっては)、とてもきれいだったのです。そして、その直後僕は、今までに経験したことがない衝動に駆られたのです。つまり、「話しかけたい」と思ったのです。

電車の中でナンパをするのは、最高難度です。考えられる限りでもっとも難しい。もっといえば、間違いなく失敗するから、やめておけと。しかも、電車というのは、限られた空間ですから、失敗した場合には、周りの人間から、「負け犬(loser)」との烙印を下されます。

ただ、そのときの僕はなぜだかわかりませんが、「絶対に成功する」と確信していたのですね。なんで、そんな確信をもてたのか。今考えると、まったくわからないわけですが、そのときの僕は、「絶対に成功する」という確信に満ちていたのです。すごくきれいな女性を、電車でナンパして、「絶対に成功する」と確信する。こりゃ、バカ以外の何者でもありません。

ただ、そのときの僕は、成功すると信じきっていたのですね。ですから、僕はどのように会話を始めたらいいだろう、という発想に(おろかにも)発想を切り替えたのです。

ここで少し、話がそれますが、電車のなかでナンパをして、「成功する」とは、いったいどういういった状況なのでしょうか?僕の中での定義では、「彼女が電車から降りるまで会話をするあげく、電話番号もしくはメールアドレスを得る」です。

電車の中ですから、どこかでコーヒーを飲むわけにもいきません。「彼女がどこの駅で降りるかわからない」という不確実性があるため、会話時間自体もかなり限定されています。このような状態で、電話番号をゲットできれば、「成功」といっていいでしょう?

ともかく、この状況においての、僕の「成功」とは、この程度です。もし、これ以上のことがこの状況でできるとすれば、まさに神業といっていいでしょう。 


僕は大きな過ちを犯しました。目があった瞬間に、「日本語」を使えばよかったのです。単に、「日本人ですか?」とでもいえばいい(もっと気の効いた言葉がありそうだけれども)。ただ、その瞬間に彼女に話しかけなかった。今考えると、「なんてバカなのだろう」と思うのですが、ともかく僕は最大のチャンスを逃したのです。

なんで、その瞬間を逃したかというと、まずは僕が「へたれ」だからというのが最大の原因です。ですが、そうとも言い切れないところがあります。というのも、そのとき、僕まるで、「日本語がしゃべれない」という錯覚にとらわれたのです。

それもそうです。この二週間、僕が日本語を話した時間は0秒です。ずーと英語。この一ヶ月で日本語を話したのは、10分くらいでしょうか。もっとすくないかもしれない(たまにブログを日本語で書くけれど)。それくらい日本語を使わないと、日本語に慣れていないような感覚を受けることになります。そして、とっさに日本語が出てこないのですね。

ともかく、結論としましては、僕は最大の瞬間を逃したのです。

僕は、彼女の座席に近い席に腰を下ろしました。その後に気づきましたが、彼女は友達と一緒にいたのです。

これがまた悪い効果をもたらしました。彼女の友達は、おそらくブラジル人でした。彼女らは、割と大きな声で話をし合っていたので、僕は彼女たちの持っているアクセントをチェックすることができました。日本人の女の子は、ともかくひどい英語で、「これぞ日本人!」という英語を話す一方、友達のブラジル人は、ポルトガル語なまりがあるものの、なかなかうまい英語を話していました。

このような状態がいかなる効果をもたらしたか。そのときの僕は、こうおもいました。

「これは、厄介だなぁ」

と。理由としては、二つありました。

まず、彼女は友達がいます。よって、「日本語がつかえない」。これは、そのときの僕としては予想外の展開です。「絶対に成功する」という確信を僕がもてたのも、僕が日本語を使えるという、他の人にはないメリットがあったからなのです。「日本語さえ使えれば」と思っていた僕は、彼女にブラジル人の友達がいることを知るとなると、出足をくじかれました。伝家の宝刀が抜けないことに気づいたのです。

ちょっとだけ補足ですが、このような状態で僕が日本語を使ったとすると、彼女の友達に対してすごく失礼なことをすることになります。僕らが日本語を使う限り、友達は会話に入れない挙句、一回日本語を使ってしまうと、その後、英語に切り替えて会話をすると、違和感を感じてしまう。

ともかく彼女には、日本語が通じない「連れ」がいたので、僕は友達に敬意を示すため、日本語を使っていけない、ということをそのときに強く感じたのです。

長くなりましたが、第二の要因として、友達がいる状態で、ナンパをするというと、それはどういうことなんでしょうか?僕の立場で考えてくださいよ。友達がいるのと、いないのでは、難しさは変わるでしょう?つまり、友達がいるため、会話を作るきっかけをほぼ失うことになったのです。


この二つの要因に気がつくのに、1秒もかかりませんでした。そして、「これは、やばい」と強く感じたのです。

(ここからは、僕の思い込みの世界)。彼女は、たびたび僕に視線を投げてきました。そして、僕は状況を察することができたのです。

見るところ、彼女の英語はひどい(顔はきれいだけれども)。そして、トロントにはほとんど日本人がいない。20台前半の女性は、おそらく、このような状態にひどい孤独を感じる(僕には想像できませんが)。

彼女が、僕に視線を送るたびに、「日本語が話したい」というメッセージを感じ取りました。そして、(これはいいわけじみてくるのだけれども)、そのメッセージを受けるたびに、僕は彼女への関心を失っていったのです。

彼女は、まるで、「『どこでもドア』で、原宿から今トロントに到着しました」といったような雰囲気をかもし出していました。ああいう(原宿で歩いているような女のファッションをどう形容したらよいのだろう?)ファッションをしている人種は、日本人以外にいないので、日本人のニオイがプンプンしました。そして、僕はこのニオイを、タバコのにおい異常に嫌っているのです。(そうそう、彼女は、あたかも「恋のから騒ぎ」に出てきそうな雰囲気でした)。

彼女は、予想以上にはやく電車から降りました。5~6駅くらいで降りてしまったのです。その後、僕は降りるべき駅に着くまで、強い焦燥感に駆られました。それは、とても複雑な感情で、かつ、苦い感じ。最大の要因としては、僕が「行動をすべきとき」に行動をしなかったということ。次に、思った以上に、きれいな彼女の底が薄い、と僕が感じてしまったこと。

彼女は、電車から降りたときに、僕に目をやりました。1~2秒くらい目があったといってもよいでしょう。ともかく、異文化社会。何がおこるかわかりません。楽しんでいただけたでしょうか?

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