Canadian Wood

Wednesday, January 31, 2007

ブログの変更

http://blog.livedoor.jp/hattori0819/?blog_id=2158350

申し訳ないですが、またもや、ブログをかえます。海外のブログを使用していると日本ではいろいろ厄介です。またもや、seesaaをつかってもよいですが、ここは気分を変えて違うブログをつかっています。いつものように散文ですが、暇があれば覗いてみてください。

Tuesday, January 09, 2007

「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まり

なかなか、面白い文章をよみました。お試しあれ。

興味深い記事を読んだ。
12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。
学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。
あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。
この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。
個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。
東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。
だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。
新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。
オフィスにばりっとしたスーツを着て通勤し、きびきびと働くであろうということは確実に予測されているのである。
でも、ある日、不意に仕事に行く気がしなくなり、通勤電車のいつもとは逆方向の車両に乗ってそのまま「海を見に行って」しまったり、朝だるくて起きられ ず、そのままずるずると休み続けているうちに会社に行く気分がなくなってしまう自分の姿が妙にリアルに想像されるのである。
どうして、「不意にやる気がなくなる」のか、その理由はわからない。
でも、「不意にやる気がなくなる自分」には鮮やかなリアリティが感じられる。
たぶん、そういうことではないかと思う。
だから「ニートかフリーターになるかもしれない」という不安を彼らは払拭できないのである。
私はこの「不安」は構造的なものであると考えている。
ニート・フリーター問題についての本を書いたが、その中で「労働は憲法に定められた国民の義務だから働け」ということを書いた。
たぶん、若い読者のほとんどはその意味がわからないだろう。
「ふざけたことを言うな」と激怒する人もいるかも知れない。
「働きたいけれど働く先がないのだ。これは個人の決断や趣味嗜好の問題ではなく、アンフェアな社会構造のもたらす問題である」というのがニート・フリーター問題における「政治的に正しい」回答である。
申し訳ないけれど、私はこの考え方の「働きたいけれど」という部分に実は留保を加えている。
働きたいのになかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事、自分の適性や能力を発揮できる、クリエイティブで、見栄えがよくて、できれば賃金の高い仕事で」働きたいという条件に呪縛されているからである。
残念ながら、若い人に提供される就職口の中で、そのような条件を満たすものは1%もない。
99%の就労者は「自分に向かない仕事、適性や能力を生かせない仕事、創造性のない仕事、見栄えの悪い仕事、賃金の安い仕事」のどれかまたはすべての条件を満たす仕事を選択しなければならない。
だから、彼らがある日ふと「もう会社行きたくないな」と思ってしまうのは当たり前田のクラッカーなのである。
仕事を彼らは「自己表現」のようなものだと考えている。
だから、気むずかしい芸術家が途中まで仕上げたキャンバスを「こんなものは私の作品じゃない」といってばりばりと引き裂くように、「こんなものは私の仕事じゃない」といって蹴飛ばすことが当然だろうと信じてしまうのである。
なるほど、労働が自己表現であるならば、そのようなふるまいはたいへんつきづきしいものである。
しかし、残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。
とりあえず労働は義務である。
現に、「すべて国民は、すぐれた芸術作品を創造する権利を有し義務を負う」という規定は日本国憲法のどこにもないが、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」ということは憲法27条に明記してある。
労働は国民の義務なのである。
「条件が揃っていれば働いてもいい」というような贅沢を言える筋の話ではないのである。
「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。
なぜなら、人間はなぜ労働するのかということの意味それ自体が労働を通じてしか理解されないからである。
これについてはヘーゲルの理説を引くのが捷径であろう。
「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけである。人間自身が現実に、客観的に自然的存在者以上のものであり、それ と異なったものであるのは人為的対象を作り出した後であり、人間が自己の人間的かつ主観的な実在性を真に自覚するのは、ただこの実在する客観的な所産にお いてである。(・・・)労働することによって人間は精神を『体現』し、歴史的な『世界』となり、『客観化された』歴史となるのである。」(アレクサンド ル・コヴェーヴ、『ヘーゲル読解入門』)
別にむずかしい話ではない。
小説を書かない作家、音楽を演奏しない音楽家というのが論理矛盾であることは誰にでもわかる。
「いいから、まずなんか書いて見せてよ」とあなただって言うだろう。
「それを読んで、どの程度の作家だか判定するから」
労働だってその点では同じである。
「いいから、まずなんか仕事をしてみなよ」と私たちは若者たちに告げねばならない。
「それを見て、君がどの程度の人間だか判定するから」
人間の適性や能力や召命は、労働する人間が「主観的にそうありたい」と願うことによってではなく、いかなる「実在する客観的な所産」をこの世に生み出したかによって事後的に決定される。
能力や適性は仕事の「前」にあるのではなく「後」に発見されるのである。
それに、自己表現としての芸術創造よりも、労働の方がずっと達成度についての判定は「甘い」。
だって、芸術の場合は「他人と同じこと」をしたら、それがどれほど高度の技術や熟練や努力の成果であったとしても「無価値」と判定されるからだ。
でも、労働の場合は「他人と同じこと」をしても、それが客観的に有用なものを生み出している限り、高い評価を得ることができる。
麻雀の用語を用いていうなばら、芸術は「アタマハネ」であるが、労働は「ダブロンあり」なのである。
労働は達成感を容易に得ることができる。
芸術はそれに比してはるかに要求が苛烈である。
そして、まことに不思議なことに、今の若い人々は労働を「義務」だと考えることを忌避し、それがまるで自ら進んで自己実現のために行う「創造」でなければならないと信じ込んでいるようなのである。
それではたしかに、ご本人にとっては苦しいことであろう。
「義務」を果たしている人に周囲は優しい(いやなことに耐えているわけだから)。
「創造」に苦悩している人に周囲は冷たい(頼まれてもいないことに血道を上げているわけだから)。
久しく労働は(主観的には楽しくても、制度的には)義務であり苦役であった。
しかし今、労働は創造となった。
そのせいで仕事をする人々はその定義上、仕事をつうじて絶えず自己実現の愉悦と満足にうちふるえていなければならなくなった。
苛酷な条件である。
絶えず創造し続け、絶えず快楽にうちふるえていなければならないという重圧に耐えかねた創造的労働者たちの中から「自分らしい作品ができないくらいなら・・・」と沈黙と無為の道を選ぶようになる者が出てきても怪しむに足りない。
ニートやフリーターはこの「創造的労働者」の末路である。
東大生たちはあるいは「創造的労働者であること」「余人を以て代え難い唯一無二の労働者であること」により強い動機づけをなされているのかも知れない。
そうだとすれば、彼ら自身が不安に思っているように、遠からず東大卒がニートやフリーターになる可能性は予測される30%に限りなく接近することになるだろう。

Saturday, January 06, 2007

「自分のしたいこと」に答える

さて、皆さん。僕からの大きな質問です。

「自分がいったい何をしたいのか」

こういった大きな疑問を持ったことはないでしょうか。皆さんが、20歳以上でしたらきっと一度くらいは考えたことがあるはずです。そして、もし考えたことがあるとすれば、その問題の大きさに気づいているはずですね。

今日は、こんな大きな疑問について僕が感じることを率直に書いてみようと思います。僕自身かなり未熟であることは認めざるを得ないですが、きっとちょっとしたヒントは転がっているに違いありません。皆さんにとって、ちょっとでも役立てば、と感じています。

さて、前回の日記では、僕とMという女性との会話をかなり率直に書きました。彼女はすでにNYに帰ってしまいましたが、彼女との出会い、会話は今の僕の中にも生き生きと残っています。(そして、彼女が帰ってしまったことが僕には悲しくて悲しくて仕方がない。)

ちょっと僕が自慢できることがあるとすれば、彼女に、「こんなに私自身のことを話したのは久しぶりね」と言わせたことです。こういった一言に、僕自身のコミュニケーション能力が伸びていることを実感でき、日々の生活が充実してきます。もちろん、僕が未熟であることはいうまでもありませんがね。

前回の日記にも書いたとおり、彼女は、僕に、「僕がやらなければならないこと、あるいは、やりたいことをみつけなければいけない」と残して、カナダを去りました。僕にとっては大きな宿題です。

ただ、この宿題に答える前にこういいたいのです。

「本当にこの質問に答える必要があるの?」

このような質問は問うてしかるべきです。なぜなら、僕らは、「答えられない質問をつくりがち」だからです。

たとえば、「青色は甘いの?」といった質問。これは、まったく答えられませんよね。こういう問題を「不良設定問題」といいます。つまり、質問自体が意味を成していない。こういう問題には答える必要もなければ、考える必要もないのです。そして、大切なことは僕らはこのような質問を自分自身で作り出し、考えがちなのです。

それでは、Mさんが僕に問うたことは不良設定問題ではないのだろうか。これは、かなりきわどいところがありそうです。

そもそも、僕個人の意見をいえば、日本、あるいは、アジアという国には、かなり「心地よいルール」が存在している。そして、その「ルール」にさえしたがっておけば、たいした主体的な決断をしなくても、割と良い決断ができるのです(ポイント、ポイントで主体的な決断は必要だけれども)。僕はそう思います。

それでは「心地よいルール」とは何か。

たとえば、日本人でいえば、まず高校に入り、成績がそこそこなら大体は大学に入る。仮に東京大学の法学部に「幸運にも」あなたが入れるとすれば、それは官僚になるか弁護士になれば、いいのですよね。多くの人がそう選択するのです。自然にそういう結論にたどり着き、そういう決断をする。

もしあなたが不幸にも慶応大学に入ってしまったらw(これを読んでいる30%以上は慶応関係者である可能性が高い)、商社に入るなり、銀行に入ればいい。あるいは大手メーカー。公認会計士あたりをとっておくのもよいでしょう。こういう無難な選択をしておけば、大体40歳くらいで年収が1000万円に乗るはずです(少なくとも彼らはそう信じているはず。僕も信じているふしがある)。そして、これだけの資金は、あなたの家族をきっと十分に養っていけるにたる資金なのだと思います。

僕は慶応と一橋しかしらないので、ほかの人はわかりませんが、僕が言いたいことは、僕らは日本人として生まれてきて、あるいは、日本人として20年以上生きてきて、なんとなくわかっているはずです。「あなたが日本という国で何をすべきか」ということを。そして、同時にわかっているはずなのですね。そのレールから外れるということが、いったいあなたにどういうことをもたらすのか、ということを。(もちろん、そういう道を選んでも良いけれども、それは才能を要するし、かなりの覚悟がいることは皆さんにもわかっているはずです)

これらに対するプレッシャーの強さを、はっきりいうと、男性は圧倒的に感じます。女性は極端な話、「ニートでもいいや」とでもいえますが、男性はそうはいきません。野郎は稼がないといけないのです。そして、大切なことは、こういったことでさえ僕らは「なんとなく」わかっているのですね。(MSN統計では、80%近くの女性は、「お金のない男」とは結婚できないそうです)

僕らの周りは、こういう「なんとないルール」であふれています。僕らは、東京大学に入れば、得になることはわかっているはずです。英語が話せれば得なこともわかっている。弁護士資格があれば得なこともわかっている。医者になれば、女にモテルこともわかっているのです(これは世界的にあてはまるけど。医者は常にモテルのです)。

こういった得になる事実から、僕らの能力と相談しながら、「なんとなく」選んでいけばよい。そうすれば、日本という良い環境の中では、わりと「よい」仕事が見つかって、生きていかれる。大切なことは、僕らはきっと、そういった中で、「幸せ」をつむぎ出せていけるのです。すくなくとも、つむぎ出してこられたはずです。

なんか、身もふたもない話をしたうえに、おもいっきりステレオタイプを押し付けて申し訳ないのですが、あなたが周りを見渡すとすれば、割とあたっているんじゃないでしょうか。幸か不幸か、僕の周りだけに関していえば、かなりの確率であたっているといってもよいでしょう。

これに対して、西洋はおもいっきり、個人主義です。もっといえば、「自分が何のために生まれてきたのか」といったような質問を真剣に小さいころから考える。そういう土俵があるのです。

そもそも、日本人の多くは無宗教です。これは革命的な事実で、ちょっと世界を見渡してみればぜんぜん違うことに気づくはずです。

たとえば、アメリカ人。彼らの85%は自分自身をキリスト教徒だと感じています。さらに40%はかなり熱心なキリスト教徒です。カナダでは、最低でも50%は自分自身をキリスト教徒だとみなしているはずです。イタリアなどは、かなりすごくて、公式では、100%がキリスト教徒です。イタリア人たるもの、キリスト教徒であるべきなのです。(あなたがキリスト教の悪口を言いたければ、この事実に覚悟をして、発言してください。僕には恐れ多くて、とてもとても、です)

もうちょっと具体的な例を出しましょう。たとえば、僕の家にいるカナダ人のマエラ(彼女は名前を出しても問題がないはず)。彼女は、11歳なのですが、彼女の授業には、宗教学があるのです。11歳の子供が宗教の勉強をするのです。(ちなみに彼女はフランス語で宗教学を受けるから、参っちゃうのです。彼女は、フランス語、スペイン語、英語を完璧に話します。もちろんアクセントなしで。11歳の少女がです。。)

彼らは、宗教と絡めながら、「自分がどうして生まれてきたのか」、「自分の生にどういった意味があるのか」といったことを真剣に考えざるを得ないのです。逆にいえば、これらの意味で、「不自由」であるともいえます。これらの価値観から逃れるのに、ものすごい努力を要するのです。

具体例を出しましょう。以前も話したように僕の英語の先生はゲイです。彼は今、43歳なのですが、彼は、この価値観から逃れるのに、30年以上も要したのです。しかも、この価値観から逃れるために、哲学で学士、神学で修士号をとる必要があったのです。2年間、神学に従事して、ようやく彼はこれらの価値観から解き放たれたのです。(念のためいっておくけれど、僕はストレートです)

下品な言い方ですが、彼らは単にオナニーをするだけで、めちゃくちゃ悩みます。マジで、地獄に落ちると思うのですよw 大切なのは、地獄というのは、「ちょっといって来よう!」ではすまないのですねw 地獄ってのは、本当に大変な場所なのです。

また一方で、これらの価値観のおかげで、彼らは時に極端になります。人間の歴史で何が最も人を殺したのか、といえば、それは簡単で、要は「宗教」なのです。クラウデヴィッツの「戦争論」というのは、そういう文脈で理解すべきなのです。中世では、宗教を絡めて戦争を始めたため、国の人口が半分とか、3分の1とかになっちゃっていたのです。「正義のため」とか、「悪のため」とかいう理由で、戦争を始めると、人間はかなり残酷になるのです。戦争に「宗教」を持ち込むと、それはそれは残虐になるから、戦争を外交の延長だと考えよう、という発想をしたところに「戦争論」の新しさがあるのですね。

それに比べて、僕らを見てください。それはそれは自由ですよ。そして、日々がそんなにつまらないか、というとそうでもないんじゃないでしょうか?

たとえば、単にバイトをしていたとしても、店長にほめられたとか。新しい友達ができたとか。新しい商品を売っただとか。バイトで新しい彼女、彼氏ができたとか。きっと僕らは、こういった流れの中で、なんとない幸せを見つけられていけるのです。いったい誰がどんな権限で、これらで見つけ出した「幸せ」が、「自分はこのためにうまれてきたんだ」という問いの答えからくる「幸せ」に劣っているといえるのでしょうか。いえるわけがないでしょう?

厄介なのは、今の世界は完全にグローバル化で、簡単に西洋の概念、あるいは、新しい概念が入ってくるから、僕らはそういった概念を日々浴びざるを得ないのです。そして、僕は、そういった概念のひとつに、「あなたが本当にしたいこと」という質問も入っていると思うのですね。そもそも、かなり質問自体が宗教じみているでしょう?

さて、今日の日記はここらで終わろうと思います。

皆さんにわかってもらいたいのは、僕はMさんが大好きなわけで、そんな大好きな彼女が問う質問にこれから答える気でいるわけです。ですから、基本的に、この宗教じみた問いに自分自身なりで答える気でいるわけです。

ただ、僕がいいたいことは、別にこんな質問に全員が答える必要も、義務もないかもしれない、ということです。僕自身、なんとなく、「答えるべきだ」という感覚をもってはいるのですが、その感覚を言葉にするほどの「確からしさ」を、まだ自分自身の中に見出してはいません。

そうはいいつつも、彼女はそんな問いに答えるためのヒントを数え切れないほど僕にくれたし、第一、僕の周りにいる友人、先輩がいろいろな形でヒントをくれる。ですから、どこか前向きな気持ちになっています。それは、この問題自体に意味があるということに加えて、僕自身が僕なりに答えられる、ということにおいてです。

さて、いつものようにまとまりがない形で、今日もこの文章を終えようと思います。皆さんはどう思われたでしょうか?

Friday, December 29, 2006

最高の体験

さて、ここトロントでの生活も4ヶ月を超えました。短いながらもいろいろな経験をしたわけです。

その中でももっとも貴重だった体験をここに赤裸々と書こうと思います。はっきりいって、僕の短い人生の中で、ここまで感動をしたことはなかったかもしれません。ここまで個人的な体験をありのまま語ることに少しためらいがあります。ただ、この体験そのままかっぽりとカプセルの中にしまって、二度と忘れないようにしたい。そして、こんなすばらしい体験を僕だけにとどめておくのはもったいない。

そう思うので、嘘偽りなく、今回は、ありのまま僕の感じたこと書こうと思います。 今回の日記は、今までの中で、もっとも僕自身について正直に書くことになると思います。


さて、今、僕はカナダにいます。僕の家は、ちょうどドラマの「フレンズ」みたいに多くの人で一つの家をシェアをしています。今、僕の家にいるのは、僕を除いて、ブラジル人一人、あとは、カナダ人が5人ほどいます。 一つ前の家では、ドイツ人、チリ人、アルゼンチン人、コロンビア人、メキシコ人とシェアをしていたのですが、そんな生活ともお別れをし、今はほとんどカナダ人という環境にいるわけなのです。

その中の一人のカナダ人。この女性の名前はM(匿名にしておきます)という女性です。この女性、なんとハーバード大学を主席で卒業したのですね。僕の感動とは、彼女との会話からきたものです。

そもそもなんで彼女が今この家にいるのか。そもそも彼女は普通はNYに住んでいます。ハーバードを卒業した後、リサーチ系の会社に就職した彼女は、この休みを機会に、カナダに帰ってきたわけです。彼女と僕の家のホストペアレントは、彼女が5歳のころから関係があるかなり密接な関係。そんなことから、この短いカナダへの帰省の間、僕の家に滞在しているわけです。(彼女は僕の隣の部屋で今寝ています)。

さて、そんな彼女との会話の内容とは何か。それは、ほとんど僕の人生相談、あるいは、キャリア相談といっても良いものです。

そもそも、僕が英語を話すときは、「どういった質問をすれば、相手から効果的な返答を得られるだろう」という発想を常に持っています。日本語と違って、外国語で話をリードするのはかなり大変です。英語を外国語で話す人との会話なら問題はありませんが、ネイティブスピーカーとの会話をリードしようと思うと、かなりの力量が必要です。

そのようなかぎられた英語力の中から、僕が見出したものは、「効果的な質問をし、ネイティブスピーカーに話をリードさせる」ということです。こういった理由から、僕はネイティブスピーカーとの会話の中で質問をどんどんしてきます。

もちろん彼女の場合も、例外ではなく、「なんでハーバードを選んだの?」とか、「ハーバードの学生はどう?雰囲気はどう?」といったようなシンプルな質問から、「なんで教育学(彼女の専門は教育学)を専門に選んだの?」、「教育学において、統計的な発想はどれくらいするの?」とか、根こそぎ聞いていきます。

前も書いたようにハーバードとは恐ろしいほど高い大学です。彼女は、MA(1年)をハーバードでとり、そのための授業料はなんと約30,000USドル程度。つまり、一年の授業料は300万円から350万円くらいです。それ以外にも、彼女の場合、生活費、本代等に、年間15,000USから20,000ドルかかったそうです。つまり、日本円にして、約500万円ほどの学費が、単に一年の経費としてかかったそうです。

彼女は、学部を終えた後、3年間教師として従事。2年間カナダで、1年間メキシコで。その間、ハーバードに受験をし、見事、ハーバードへの切符を得たのですね。

「ハーバードからの合格通知が来たとき、それはもう、胸がいっぱいだったわ。あのハーバード。こんなすごい大学で勉強できるなんて・・・でも、そのあとに気づいたの。この大学の授業料が恐ろしく高いことにね。もらえるだけのスカラシップを貰っても、まだ足らない。親からの援助もしてもらって、やっとお金をかき集めたわ」

彼女は、ハーバードでの体験を僕にこんな風に語りました。

「ハーバードでの体験。それは、すばらしかったわ。何事にも変えられない体験。毎日、本を2~3冊読んだわ。タスクは本当に多くて・・・でも、すべての分野に最高の人々がいるの。数名な本を書いた教授と議論することもできたし、多くの国の首相、閣僚が私の大学を訪れる。なによりもすばらしいのは、クラスメート。多くのクラスメートは、今後、この社会を担っていくような人々ばっかりだったわ。今も彼らとの関係は続いていて、今後とも関係は続いていくはず。それはきっとかけがえのないもの。そう思わない?」

そんな厳しい激戦の中、彼女は勝ち抜いたわけですね。彼女の成績は、オールA。大学の卒業式の答辞は彼女が読んだそうです。実は、ここまで話していなかったけれど、彼女は黒人です。僕は黒人に対する偏見はゼロだけれども、アメリカ人は、当然違うわけですよね。アメリカという社会で黒人が上に上がっていくのは、相当大変なはずです。そんな環境の中で、彼女は勝ちぬいたのです。

ある程度、彼女の学生時代の体験に関する質問をしたあと、僕は僕自身の悩み、弱み、問題点を正直に語りました。 普通はこういうことを話さないの僕だけれども、彼女にはこういった質問をしてもかまわない。そういった空気を感じ取ったのです。英語をしゃべっていたことがそれを助けた、という側面もあるかもしれません。

「僕はここカナダで、今4ヶ月ほど生活をして、あと残された時間は、1ヶ月あるかないか。そんな中で、僕は僕自身のどこが問題で、どんな問題を解決していかなければいけないのか。そんなあいまいなものに、少しずつ、くっきりと輪郭がついてきたんです。

いくらいやだといっても、あと一ヵ月後には僕は日本に帰国して、仕事を探さなければいけない。ここと日本が決定的に違うのは、日本と国は、試行錯誤に対して肝要じゃないんです。もっといえば、失敗者に冷たい国。

僕が今わかっていることは、日本という社会において、ファーストキャリアはすごく大切で、これを失敗すると僕の人生において大きな影響がある。そんな大きな問題の前に、僕は足がすくんで、動けなくなっているのかもしれない」

彼女は、

「それは大変ね。私がファーストステップを選んだときは、『なんとなく』、選んだわ。なぜかっていうと、自分のキャリアなんて、すぐに変えられるんですもの。私たちは、会社はすぐに首を切ることはわかっているし、私たちも良い条件があればすぐに会社を変えることはわかっている。私たちは、『なんとなく』ファーストキャリアを選べるの』

とつぶやいた後、僕にこう問いかけました。

「想像してみて。あなたが今後の人生を歩み、そして、死んだとする。きっと、お葬式にあなたの親友なりが『あなたはどういう人だったか』という説明をするのだと思う。あなたは、どんな風に説明されたい?」

あたまをガツンと叩かれたような鈍い感覚を僕の頭の奥に感じました。質問の意図を探りながらも、正直に答えようとあがく感じ。突然の質問に戸惑っている僕を背にして、彼女は、こう漏らしました。

「問題なのは、人生は、なにか成し遂げるには短すぎるってことね。」

そのときの僕は、完全にエヴァンゲリオンの碇シンジくんみたいな状況に陥っていってしまい(なんて貧困な日本語だろう・・・)、

「僕なんて全然ダメなんだ。頭も悪いし、三歩歩けば、皆忘れるんだ(これはいいすぎか?)。僕の人生なんて凡庸で、つまらなく、・・・云々」

と、叫びたい気持ちで満たされました。

「何をやるべきで、何をしなければいけないのか。あなたは、すでにそれをしっているはずだし、もし知らないとしたら、見つけなければいけない。そして、そういったものがみつかったとしたら、その気持ちに素直になることね。」

彼女は自分に語りかけるように話を始めました。

「あなたは、まず日本語が話せるでしょ。そして、よい英語が話せる。あなたには、ビジネス、ファイナンスを学位がある。これだけあれば、十分カナダでも通用するわ」

「もし、日本企業のカナダ支店にアプライすれば、いくつかオファーがもらえるかもしれない。あるいは、カナダの銀行に複数アプライすれば、一個くらいはもらえるかもしれない。」

すこし前向きな気持ちになった僕がこう答えると、

「そうそう。その調子よ。大切なことは、そういったあなた自身の能力、あるいは、興味。そういったちりばめられたものの一つ一つを束ねる『何か』がきっとあなたの中にあるはず。そういったものは、あなたのバックグランドとも重なってくるはずだわ。あなたの両親がいったいどんなことをしているのか。あなたの友達はどんなことをしているのか。 あなたがどんな町で育ったのか。一つのものを違った角度から見ているに過ぎないの。同じものを横から見るのと上から見るのでは、印象が違うでしょう?」

彼女は一呼吸おき、薄暗い部屋のなかで、くっきりとこういいました。

「私には、わかっている。あなたがこういうものをみつけられるって。そして、それはあなたにもわかっているはずだわ。もし、それがどんなものなのかわかったとしたならば、あなたが何をしなければならないのかでさえ・・・」

女性から、こんなことを言われたことが初めてな僕は、やや戸惑いながらも、何かが切り開かれていくような感じで、こう答えました。

「I think i can do it 」

彼女は、きこえるか聞こえないかわからないほど小さな声で、そして、それにもかかわらず、なににまさるほどもなくはっきりした意味合いをもって、 こう僕をたしなめたのです。

「You should say " i can do it" 」

ご存知のように、この会話は英語でなされています。ですから、彼女の言っていることが聞き取れないことも、正直、ありました(95%以上はわかったけれども)。会話自体は、一時間程度だったはずですが、丸一日話したかのような、濃密の濃い一時間。ここに書かれていることは、その会話の一部に過ぎません。

彼女は今、リサーチ会社で働いているのですが、来年からは、スタンフォードかハーバードのドクターに進学するそうです(つまり、今はアプライをしているだけ。ただ、絶対に落ちないことは、彼女も僕もわかっているのです)。彼女が、スタンフォードを希望しているとつぶやいたとき、僕ははっとしました。それは、もちろん、スタンフォードという大学が、スティーブジョブズの「点と点を結ぶ」という話を思い出させるからですね。

はっきりいって、今の僕は、本当に自分に対して自信がないのです。「なんて僕は頭が悪いのだろう。ダメダメなのだろう」と、毎晩のようにして悩むわけです。

ただ、僕は気づいたのです。僕が24年間、生きてきた中で、小さいながらも、自分にとっては重い決断をいくつかしてきた。そのとき、その瞬間は、すごく恐ろしくて、ときには、すくみあがってしまうようなこともあったわけです。

ただ、そのときの僕は、「この決断が、やがて僕自身の明るい未来に向けて大きな糧になる」ということが、すごく明確な形でわかっていたのですね。事実、もし、僕がその時々で違った決断をしていたとすれば、彼女との会話、出会いはなかったわけで、もっといえば、僕自身の人生の輝きを失っていたかもしれない、といっても言い過ぎることはないわけです。そして、大切なことは、僕は彼女との出会いのような、「かけがえのない」、あるいは、「奇跡ともおもえるような」出会いを、僕自身、「定期的」に感じざるを得ないのです。

僕が今言えることは、「人間、今、自分が正しいとおもっていることしかできない」ということです。そういった限られた選択肢の中でなされてきた決断が、もしあなたが、「あの時の決断がなければ、今の僕はなかった」と思えるとすれば、こうあるにちがいなにのですね。つまり、あなたは、あなたの限られた力の中で、ベストをつくしてきたからにちがいないから、と。もっといえば、そういう人々は、かりに違った決断をしたとしても、「新たなかけがえのない経験」を築いていけるにちがいないと。

あなたが確認できることは、「今」の自分、そして、「過去」の自分。それらを用いながら、真っ暗な「未来」を照らしていかないといけないのです。一度、足を踏み入れてしまったら、もう戻ることはできない。その一歩は、あなたに光をもたらすかもしれないし、悲劇を振りかざすかもしれません。

それに変わらず、絶え間ない感動を世界から、社会から、そして、人間から感じられるとすれば、それはいったい何なのだろうか。僕は、それは、あなたがその瞬間瞬間で、「あなたなりのベスト」を尽くしてきたからに違いないと、信じているのです。そう信じざるを得ない「何か」を感じざるを得ないのです。



女の人から連絡先を聞くのが苦手な僕も、さすがに彼女の連絡先を聞きました。彼女は明日、NYへと帰ってしまうのです。

" Could I possibly get your email address ? "

という、僕が使える限りで、最高級の丁寧語を恥ずかしながら使い、

" No "

というアメリカンジョークを加えながら、彼女は僕に連絡先をくれました。

僕が今感じていることは、この短い会話を一つの小説にできたら、ということです。はっきり言ってこの体験は、小説を超えている。もちろん、僕の稚拙な文章力でまとまった作品を書くことは不能ですが、コンテンツはかなり自信があります。(ここにかかれていないような会話はもちろんあるのです。40~50ページくらいにまとめられるはず)

恋愛ではないので、「Before sunrise」、「Before sunset」とは違いますが、似たようなコンセプトで何かかけるかもしれない。そう強く僕は思います。

さて、長くなりました。ここまで読んでくれた人に心からお礼を言いたいです。ありがとう。この日記があなたにとって何らかの糧になることを長いつつ、新しい年を迎えようと思います。

Sunday, December 17, 2006

将来の進路や生き方に8割が悩む

Right now , i cannot write in japanese , so , the only thing i'm gonna do is to paste this article and wait till the time when i can write in japanese .

Oh my god...the Tokyo university student study more than 8 hour per day ? What the hell do they do ? Basically , they are much smarter than me , so it means , everyday , their ability's becoming superior to my ablitiy ...

東京大学生の8割が将来の進路や生き方に悩んでいることが、東大が発表した学生生活実態調査で分かった。自分がニートかフリーターになる可能性を感じている学生も3割近くいた。また、睡眠時間が減る一方で、学習時間は増えており、調査を担当した森建資・経済学部教授は「今の学生は非常にまじめになっているが、その半面で悩みは深いのではないか」と分析している。 


調査は東大が毎年実施し、今回で55回目。昨年に学部学生計3534人を対象に実施し、38.7%の1367人から回答を得た。 将来の進路や生き方について「よく悩む」と答えたのは46.9%。「ときに悩む」の36.4%と合わせると83.3%が悩みを感じており、同様の質問をした01年の調査の80.9%を上回った。 

1日の睡眠時間は6時間34分で、前回(00年)より11分、前々回(97年)より26分も短縮。一方、大学や自宅などでの学習時間は8時間38分で、前回より26分、前々回より1時間2分も増えた。 また、「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「自分はニートにはならないがフリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%おり、計28.3%がニートかフリーターになる可能性を感じていた。 

卒業後の進路について、大学院進学を希望する学生が初めて5割を超えた。文系28.6%、理系69.1%が大学院進学を希望し、森教授は「法科大学院ができたことや専門志向が高まっていることが影響している」とみている

Friday, December 08, 2006

形になる仕事

http://www.youtube.com/watch?v=WV8nsX1pdJg

さて、ようやくYOUTUBEに現れました。どうでしょうか? 友達は、「もっと金をかけろよ」といっていますw 僕自身、思い入れがあった曲をアルバムからカットということで、期待していたのですが、なんともがっかり。オリジナルはピアノと声だけなのですが、シングルカットは割と音が多いのです。それがいい感じで曲の持ち味を破壊しておりますw (お、「そもそも、そんなものはねぇよ」という声も聞こえてきましたw)

売るつもりでこういう仕上がりにしたつもりでしょうが(果たして売れるのだろうか?オリコン初登場は41位らいい)、僕としては、いやはや、まったく不満が残る一品です。

さて、話をがらっと変えましょう。上記の曲を楽しみながら、よんでいただければと思います。

最近僕がおもうこと。それは、僕が社会人になることを数年伸ばしたため、「見えなかったもの」がいろいろと見えてきたなぁ、ということです。

大学への入学とは違って、就職ともなると、それぞれがそれぞれの道を歩んでいます。選択肢はそれこそ無限数あるため、親しかった友達がまったく違った生活を送っていたりする。その一つ一つがすごく新鮮で、勉強になることが多々あります。

中には、週120時間以上働いているやつもいます。体力がない僕としては、「よく続くなぁ」と思うと同時に、「本当にこれをこいつは続けられるのか?」といった心配すらすることさえあります。

その中でも、「こいつは!」というやつ。そいつをちょっとだけ紹介しようと思います。

彼と付き合って、どれくらいたつでしょうか。数え切れない時間を彼と過ごしたわけですが、彼は、僕がきっと「親友」と呼び合える数少ない友人の一人といってもよいと思います。

彼は、昔から笑いが好きで、僕は彼から笑いのすべてを学んだといってもいいでしょう。「こうすれば人は笑うんだよ」とか、「この番組のここが新鮮なんだよ」とか。一般的なことから、かなり技術的なことまで幅広く学んだような気がします。

そんな彼とのやり取りの一部を紹介しましょう(しかし、無許可ではあるw)。

思えばあっという間に終わっちまった夏。
今まで経験したことのないプレッシャーの中で戦ってました。

「これが仕事なのか?これが社会人なのか?これも青春なのか? 今の自分カッコイイか?モテるか?」

そんな自問しながらの日々。 マジで死ぬほど忙しかったけど、 きっと減った体重分ぐらいは成長できた一夏でした

さて九月に入り、家に帰るのが今日で五日目という 笑えないギャグみたいな生活が続いて半年以上経ちました。
半年で何か変わったかと言われればNOです。
相変わらず、相変わらずです笑
相変わらずバカだし、相変わらずいろんな意味で小さい。
相変わらず笑いの現場に笑いはないし。 相変わらず名言ですよ笑

彼は、なんと「内村プロディース」をつくったメンバーと一緒に仕事をしているのです。「内P」とは、究極の番組で、「これでボケろ!」と振って、マジで笑いをとるような恐ろしい番組です。

当然製作チームも恐ろしいわけで、事実いろいろな意味で恐ろしいw この文章は9月の末に書かれたわけで、9月で家に帰ったのは5回ですか。その仕事の恐ろしさ。想像することができます。

そんな彼も、昔はこんなことをかいていました。

仕事始めてそろそろ3ヶ月が経ちます。

結構な現場を経験しました。
結構な仕込みをこなしました。
結構な編集につきました。
結構な芸能人に会いました。

それらがどれだけ人生の糧になってるのか果てしなく疑問。
とは言え実際はミスばっか笑 責任感が足りなすぎるんですって。
まだまだ社会人になりきれません。

ってか社会人って何? 今日までに休日は3日だけありました。 オール爆睡でした笑

ここまでくるともはや超人のレベルとさえ感じます。面白いのは、かれは、体力がないことで有名だったのですよね。僕以上に痩せているヤツで、大学時代は、「基本は8時間!」と豪語しているようなキャラでした。

それが6月までに休みは3日。大切なことは、彼の仕事は3月から始まっているのですねw

そのときは、こんなことを書いていましたね。

現場は相変わらず理不尽なこといっぱいです。

怒鳴られる日々。時にはキック、時にはパンチ。
もテンパってるから全然痛くない 笑 その後精神的に痛いんだけど。

どこ行ってもイジられキャラは変わりません。
怖いディレクターたちから「ネズミ」と呼ばれパシられまくり。
「チュー」って返事しないと怒鳴られるんすよ笑

マジで全員キチガイ。全員死ねばいいのに。ちょっと病んでますね笑

こんなとこ早く辞めて人間に戻りたいと思う毎日。
はっきり言って既に惰性でやってる部分は多いです。
あんな現場じゃ、あんな人間関係じゃモチベーション上がらない。

マスコミの業界は、未だに体育会の世界みたいです。僕の友達には、キー局(フジ、テレ朝等、エラそうなテレビ局)で仕事をしている人もいるから、こんなことは書きたくないけれど、基本的に日本のメディアって、キー局が製作会社の搾取している側面があるんです。そして、キー局は完全に寡占状態なんですよね。

皆さんもご存知のとおり、テレビ局の平均年収ってすごく高いですよね。1500万とか、すごいお金をもらうのです。それに対して、製作会社の人って、基本的に正社員じゃないんです。つまり、極端な話、バイトと一緒。年金も払ってもらえないし、失業保険も少ないし。手当て等も充実していないんです。

ただ、こういう事実って、基本的にメディアからしか僕らは得られないでしょ?でも、こういう事実をテレビなどといったメディアが、本当に報道すると思います?当然、しないわけですよね。(田原総一郎だけがこれを取り上げたことがあると思う。ほかにもいるかもしれないけれど)。

彼みたいに、自分の夢として「笑いをつくる」ということを選択した人間として残された道は何か?わかると思いますが、キー局に入れる人って本の一握りなのです。つまり、ほとんど入ることはできない。

しかも、これはある人から聞いたことなのだけれども(匿名にしておきます。有名なジャーナリスト)、キー局とか広告代理店ってのは、親が有名人がお金持ちでないと、なかなか入れないから、彼みたいに親が「普通の人」であると、それはそれは難しい。

じゃあ、芸人になればいいか。それはそれで難しいのですよね。僕は彼に芸人になってほしかったんだけれども、現実的には難しいですよね。人気商売ってのは、常に一時的でありえるし、そもそもどれだけの下積みをすればいいのか。ほとんどの人が日の目をみないで終わし、そもそも、売れたってたいした儲からないことはわかっているのです。ちょっとの間だけ覚えられ、あっという間に忘れられてしまう芸能人・・・

そんな厳しい現実の中で彼が選んだ選択肢はこの仕事。

さて、もう少し続けましょう。

当初この企画を担当していた先輩ADが病のため突然の戦線離脱。
そのため作業のほとんどを任されました。
鉄板企画でここまで任されたのは、AD生活8ヶ月目にして初めて。
1人のADとしてカウントしてもらえなかった、 悔し過ぎる日々にさようなら。
「ネズミ」はまだまだ卒業できませんけどね笑
きっと今後忘れられない企画になると思います

世の中には、4つの種類の人間がいて、それは「自分の好きなことを仕事にできる人」と「できない人」。そして、「自分のしたことが形になる仕事を持てる人」と「もてない人」がいる。

彼は、幸運にも「自分の好きなことを仕事にして、さらに、形になるもの」を選択できたのです。この文章にあわられているような、なんとも形容しがたい「自信」あるいは「満足」みたいなものは、そういったものを持てた上で、かつ、すごく物事に真剣に打ち込んだ人のみが到達できる領域なのかもしれません。

今の巷で言われていることは、「3年で3割の人間が、そして、5年で5割の人間が職を離れる」ということです。僕は、この数字自体は、すごく健全なことなのだと思っています。そもそも、日本のように「社会と自分との接点」を考える機会が著しく低い社会では、「会社に入る」ということことが、「社会を考えること」と同値であることが多い。

あまり社会について考えたことがない人間が、「やっぱり思っていたものとは違う」と思い、職を変えることは当然のことです。自分のキャリアに対して修正がきくのは、やはり20代だし、そもそも、ひとつの企業に長年勤めるということ自体がよいことなのかどうかも、かなり不明確です。自分の成功に責任があるのは、自分自身です。最後の最後は、常に、自分自身で決断するしかない。

やはり、僕が大切だと思うことは、

「自分が『これがやりたい!』ということを30になるまでにみつけられるかどうか」

ということ。

僕は、これで人間の価値は決まってくると思うのです。そのときにやはり必要なことは、「その夢を職につなげられる専門性」、そして、「その世界でコミュニケーションできる道具」。この二つがあれば、いつか光は見えてくると思うのです。もちろん、僕自身の暫定的な意見でしかありませんが。

さて、最後に、彼が僕に向けて書いた最後の手紙を引用しちゃいましょう。

前は「帰れない」とか「寝れない」とかウダウダ言ってたけど、
今はどうしたら企画がうまく回るかとか、
まだ紙上にしかない作家の企画を、どうしたら面白くできるんだろうとか、
ディレクターは今何してるんだろう、今何考えてるんだろうとかとか、
今までとは全く違った視点を持って現場に臨む自分がいる。

実際に社会に出て、仕事をして、初めて仕事って何か考えた。
今の仕事を辞める前提で、その先の選択肢を自分なりに考えた。

でも他の仕事のことを考えてるうちに、自分の仕事に対する考えが変わってきて。

じゃああと3ヶ月後の自分はどうなってるんだろ?あと1年後は?

せっかく自分で選んで選ばれて進んだ道だし。
そこで自分がこの後どう変わっていくのか純粋に知りたいし。
半年で築いた人間関係が無になるのは惜しいし。

最近の笑いに不満を言いつつも、やっぱりお笑い好きだし、 自分にはお笑いしかないし…
やっぱり女子アナ好きだし、女子アナと仕事したいし…(注:彼は女子アナが大好きw)

そんなこと考えてるうちに、未来の自分に少しだけ期待してみる気になったのね。

あと、10月に入る前に鬼プロデューサーから急に呼び出されてね。
何のフリもなく急すぎたから相当ビビったビビった笑

「番組抜ける気でいるのか?  まさか(ネズミの)お前がここまで続くとは思わなかった。今お前は番組に欠かせない戦力。残ってくれ。一緒に番組を盛り上げよう」

ADやる前から尊敬してた偉い人にこんなこと言われて、 辞めるに辞められなくなっちゃてね笑 とは言え仕事とか扱いは全く以前と変わらないから、
すぐに気が変わって明日実家に逃げ出してるかもしれないけどね笑

というわけでもう少しだけAD生活を続けるよ。 「これ以上ここにいても未来がない」と思うまで。

さて、皆さん、どうおもったでしょうか?きっと、「こいつと会って、話がしてみたい」と思った人は多いでしょう?僕の取り上げ方がうまい、という可能性もありそうですがw、やはり、自分のやりたいことを形にしている人って、こういう文章を書くのです。文章がうまい、下手をこえた、なんともいえない説得力。そういったものを皆さんも感じられたんじゃないか、と思います。

自分とは違った能力を持った人間と違った能力をもちあって、新しいことをする。そういった漠然とした願望を僕は持っています。仮にそういった友達を僕自身が築けたとして、僕自身がその友人に貢献できることは、いったい何なのか。今の僕自身、未熟なわけですが、「きっと30までには持っているはずだ」と漠然とでも思い描けることに、僕自身の成長を感じたりもします。

ともかく、○○くん。前々から約束していたライブにいきましょう!その後酒をのみ、募る話をきき・・・

Wednesday, December 06, 2006

なぜ男はきれいな女がすきなのか2

親しい友人から強烈なコメントをもらったので、日本語で答えましょう。

僕個人の率直な希望をいえば、できれば、CHINESE AMERICANと結婚したいなぁ、とおもっちゃったりします。もちろん希望なのだけれども。今、僕は中国語を勉強したいという気持ちがすごく強いし、アメリカ人と結婚するとアメリカ国籍を簡単に取れる。あるいは、北米の女性は、全般的に見て自立して魅力的だなぁとも、感じたりもします。

君もご存知だろうけれど、僕は白人が大好きなのですよねw ただ、白人ともなると、ほぼ不可能な領域なのですよ。日本人の女性となると、本当に人気があるのだけれども、日本人の男性ともなると誰も見向きもしない(わかっていたけれど、再確認)w 理由は簡単で、要は、鏡を見れば一発で分かるわけです。やっぱり見た目では圧倒的に白人、ラテン系にはかなわないと。

僕の友達にジュニアという名のメキシコ人がいるのだけれども、それはそれはカッコいいですよ。日本ではこんなにカッコいいやつに会ったことはない。僕からすれば、トムクルーズとほとんど同じ。身長は185くらいあって、スタイル抜群。アジア系の女は一発で、彼いわく、「アジア系は簡単すぎる」との話w 問題なのは、彼見たいのが、路上にゴロゴロしているんですよねw

また、トロントという町でさえ、アジア系に対する差別はリアルに感じます。北米はやはり白人の国なので、アジア系はどこまで行ってもマイノリティー。こういった感覚から、いくら国際結婚とはいえ、アジア系が現実的かなぁ、と思ってしまいます。

話がかわるけれど、日本と北米で決定的に違うことは、良い意味でも悪い意味でも、「男女平等」を徹底することです。MAの意味って日本とアメリカではぜんぜん違って、MAがないと話にならないみたいな文化はかなり痛烈に感じます。そして、女性は男性と同様に、キャリア志向が高いから(そもそも経済的に自立しないと、話になりませんよね?)、女性も積極的にMAを撮りにいきます。ですから、たとえば、トロント大学の講義をのぞいてみると、MAレベルでも、クラスには男性と女性がほぼ同数います。

大学側もかなり気をつかっているみたいで、1ヶ月前ほどに出席した北米でのMBAコンファレンス(IVリーグの大学も出席)は、DIVERSICATION(多様性)にすごく気を使っているようです。女性だけではなく、黒人やアジア系を一定数とるとか、そういった配慮というのは、すべての領域に対して徹底しているように思います。ただ、白人系は、「逆差別」をうけているような感覚をうけるみたいだけれどね。

ほかにも理由があるのだけれども、こういった理由から一般的に男だから稼ぐとか、女だから稼がないとか、そういった発想というのは、日本に比べて圧倒的に希薄であると感じます。


またまた話が変わるけれど、ここに来る前は、30になるまでは、金の亡者になるつもりでした。つまり、若いうちに稼いで稼いで稼ぎまくろうと。まったく遊ばずにねw ただ、よく考えてみると、パートナーさえうまく選べば、そういったことなんてする必要がないんですよね。そして、そういった選択を女性は割りと懸命にしている。僕はそう感じました。

昔から、「かわいい子」が大好きな僕なわけで、今はそんな自分が大嫌いなのだけれども、韓国人と話すことを通して、もっと嫌いになりました。野郎がかわいい子が好きだから、女の子がどんどん整形していくんですよ。かわいくないと、就職も大変だったりする。僕は、「韓国社会はおかしいぞ」と思うと同時に、そういった一面を自分の中にも見出しちゃったりして、「今にもゲロを吐き出しかねない」といったような気持ち悪さをリアルに感じちゃいました。

ただ、村上龍いわく、僕がゲイにならないかぎり、この悩みは消えないみたいだし、僕はゲイにはなれないことは、この国に来て本当にわかったし(この国はゲイがいっぱい!僕の英語の先生は、ドイツ人とカナダ人のハーフの白人で、彼は思いっきりゲイw)。

また、(本当はこんなことは書きたくないのだけれども)、「かわいい」といか、「きれい」とかいった要素も立派な才能のようにも感じます。日本全般には、「がんばれば夢はかなう」みたいな幻想があるけれど、そんなことはないんですよね。世の中には僕みたいに頭が悪い人間もいれば、本を一回読めばすべて頭に入っちゃうような人間もいる。

たとえば、僕は今、英語をがんばっているのだけれども、10歳くらいから北米で生活して、4~5年北米の生活を経験した日本人には、英語では絶対に勝てないという確信があります。発音はまったく違うし、第一、発想、感覚自体がまったく違うのです。僕は、それに対して、強い不公平感を抱くのだけれども、結論的に見れば、僕は彼には勝てないわけです。ですから、たとえば、企業が「能力が高い人材をもとめる」とすれば、僕はお話にならないわけです。

僕の言いたいことは、世の中、自分の能力あるいは意思だけでコントロールできることはたかが知れているということです。世の中には努力ができない人もいれば、記憶力が悪い人もいる。数理的能力が高い人もいれば、言語能力が高い人もいるのだよね。そして、その能力は、今の僕の率直な意見からすれば、「うまれつき美しく生まれてた女性」と同等の意味で、「優れた能力」を抱えているのだと思います。そういった意味では、「論理的」には、「知的な女の子がすき!」ということと、「かわいい女の子が大好き!」ということは、おんなじということになるわけです。

更に厄介なのは、今の社会は「僕らが望むところに金が回る」ように設計されているから、必然的に美人に金が回る。いくら、僕が「美人に鼻の下をのばす人種は野蛮だ!」と叫んだところで、社会はまったく変わらないし、第一、僕もそういった野蛮な人種の一員だったりもします。

21~22歳くらいのことは、物事をシンプルに考えて、「こいつは悪い!」とか、「こういう考え方は正しい」といった割とクリアーな考え(ナイーブな考え)を持つことができました。でも、今は、僕は頭が悪いことはわかっちゃったし(当時からわかっていたけれど)、世の中、簡単には変わらないこともわかってしまった。軟派なフランスかぶれみたいに「脱構築すればいい!」ともいえないし、残念ながら経済学はこういった悩みには答えてくれそうにありません。

そんなわけで、悩みは尽きない忍者であります。

あらためて確認だけれども、この日記は半分以上冗談で書いているので、半分以上割り引いて読んでくださいねw 

PS

歌詞の翻訳は中毒性があるほど楽しいです。BANK BANDの「TO U」、東京事変の「群翔日和」、KOKIAの「歌う人」、奥華子の「恋つぼみ」を翻訳します。あなたは英語ができるので、チェックをしてください。あと、基本的に僕の翻訳にはネイティブチェックが入っていると思ってください。

Learning English , watching Michael Jordan

http://www.youtube.com/watch?v=NIyXMLcrztA

This is Michael Jordan's video . I watched this for the first time when I was a jounior high school student , and , at that time , I couldn't understand the English , but now I can understand almost everything , and that is amazing .

I think this video is very good for you English . Every people in this video speak very clear ( usually American speak more ambiguously ) , and , you can feel the " real " English .

For example , people living in the north america use " you know " a lot . Some player in this video said , like ,

He flies , you know , uh ...he plays above the rim .He makes , you know , some move seems , like , you know , you guys are a high school or some, you know ,

" you know " is popular and pretty useful . That is pretty similar to " eh " ( usually , Canadian prefer using it , but , some American or some English also use it ) , but , " eh " basically means " confirmation " , and , " you know " basically means " what you know " . And these words are so informal that you're not suppose to use them in the formal situation , like , in the job interview or so .

Anyway , in my opinion , enjoying studying English is the best way to improve your English , so , considering " how you can enjoy learing English " is what I wanna recommend you . Watching CNN or reading some text should be good , but , that might be so boring , eh ? So , you have to find something you can enjoy if you wanna have a good English .